2010年9月22日水曜日

ソニア・ソートマイヨールの見る連邦最高裁

日本の最高裁判事とは異なり、アメリカの連邦最高裁裁判官は特に夏休み中にロー・スクール等で講演を行い、自己の憲法観や司法哲学等を明らかにすることが多い。先日オハイオ州クリーブランドにあるケース・ウェスタン・リザーブ大学で、最高裁陪席裁判官の1人で、連邦最高裁史上初のヒスパニック系裁判官、ソニア・ソートマイヨール氏が講演を行った。映像は入手できないが、アメリカの主要法律ブログの1Volokh Conspiracyにおいて、J. Adler教授が簡潔に論点をまとめてくれている。結構重要な点が含まれているので、以下このブログ記事に依拠して、簡単な補足を交えながら紹介してみたい。 

講演は学生との1問1答形式で行われた。

1つ目の質問は、収用条項(政府が土地等を収用することを、正当な補償を条件に認める憲法修正5条)は、州その他の地方政府が環境保護目的で土地使用に制限を課す能力を制限するのか、というものだった。これは、収用の中でも土地収用などとは異なり、政府規制によって土地等の便益を減じるとき、どのような補償が求められるかという、いわゆる規制的収用の問題である。これに対して、ソートマイヨールはこの法領域は極めて複雑で、明確でない、よって事件ごとにアプローチしていくと答えた。この見解は、比較的明確なルール化を好むスカリア裁判官等の立場と対照的で、今後議論を呼びそうだ。

最近連邦最高裁の上訴受理件数が顕著に減っている点について質問が及んだ。これに対する答えは必ずしもはっきりしないが、まず明確な法的論点を提起しない事件を扱うことの問題を指摘した上で、事件受理数を拡大することは簡単でなく、立法的介入はとても危険だとしている。これは上訴受理に関する現場からのリアル・タイムの意見として重要だ。

ちなみに、ソートマイヨールは下級裁判所、特に事実審裁判所の日常業務に影響する問題について、上訴受理を促すのに相当な時間を使ったと述べた。ソートマイヨール自身が事実審の裁判官だった経験があり、これが彼女の事件に対するアプローチに影響していることを、Adler教授は示唆している。

オバマの医療保険制度改革の中の、個人に加入を強制する部分(特に合憲性が疑わしいとされ、現在違憲訴訟を提起されている部分)についても尋ねられた。これに対する回答は、必ずしも合憲性の可能性を排除せず、事件ごとに決定を下す、というものだった。この点に関して、ある州で有毒ガスが発生し、州当局が警察権限により州民を保護しようとしたとき、ガスマスクを配布する財政的余裕を欠いていたという場合、連邦が介入してマスクの購入を強制することもありうるという例を出したが、このような極端なケースには限界もあるだろうと述べた。どうも無理のある仮説事例である。このようなコメントに照らすと、オバマの医療制度改革法の中のこの部分は、リベラル派も合憲とできないかもしれない。

憲法解釈と司法による「事実上の立法」の間に線を引けるか、という伝統的な問いに対しては、「裁判官は、典型的に特定の文脈で、特定の問題に、一般的な言葉をあてはめるのに最善を尽くすのだ」と抽象論を述べ、直接的な回答は避けた。

最高裁における口頭弁論にテレビ・カメラを入れるべきか議論になっているが、この点に関する質問には、カメラは実際に人間の行動の仕方に影響するとし、やや消極的だった。

判決文の作成方法についても質問された。連邦最高裁裁判官は、ロー・スクールを出て間もない若いエリート法曹をロー・クラークとして雇用し、その補助の下で判決文を作成する。場合によっては意見のほとんどをクラークが書いているのではないかといわれることもあった。ソートマイヨールは、裁判官ごとにやり方は違うとしつつ、自身の方法を以下のように説明した。――①クラーク(ソートマイヨールについているのは現在4名)と事件について話し、口頭で自分の期待する意見の概略をそのクラークに提示する。②クラークが草案を作成し、ソートマイヨールが編集、修正を加える。場合によっては全面的に修正する。③その草案に関わらなかった別のクラークに批判を加えてもらう。――判決文執筆過程がこのように明らかにされることが最高裁研究にあたっては非常に有用であるが、ソートマイヨールは意見執筆をクラーク任せにしていないようである。

さらに、各裁判官の間で草案が回付されている間に、多数意見が相当程度書き換えられたことが、前回の開廷期には2回以上あったとしている。最高裁内での意見交換が活発に行われていることが推察され、興味深い。

最高裁が判決の中で外国法に依拠することが許容されるかは、かなり以前から議論になってきた。リベラルな判決を生み出す原因になることから、保守派はこれに強硬に反対してきた。これに対する答えも、以下のように注目すべきものになっている。

まず、外国法の採用を一切禁止するというのはばかげているとし、ある目的で外国法を参照することは許されるし、事件の性質上それが求められることもあるとする。実際に問題になるのは合衆国憲法の解釈の際に外国法を考慮することが適切かである。この点については、Graham v. Florida判決のケネディ裁判官に完全に同意するとした。ここでケネディは、①憲法の意味を明らかにする証拠として外国の判決を参照することと、②一定の原理の適用が特定の方法で発展すべきか、または発展しているかを確認するために外国の判決を参照することを区別し、②は憲法上問題ないとしたのである。

その他数点の質問があったようであるが、重要なところは以上のとおりである。