2010年11月1日月曜日

ローレンス・トライブ教授の手紙

数日前、アメリカの最も有名な憲法学者である、ハーバード大学教授(現在オバマ政権の下で、司法省の貧困者の法的サービスへのアクセス向上に関する部門を指揮する顧問となっている)ローレンス・トライブのオバマ大統領への手紙全文がリークされ、公開されたことが多くのメディアで報じられた(参照)。トライブはこの手紙が本物であることを認めている。この手紙の日付は2009年5月4日。その3日前の1日、リベラル派の連邦最高裁裁判官、デヴィッド・スータが辞職を発表していた。この手紙は、その後任として、当時ハーバード大学ロー・スクールの長であり後に最高裁裁判官となったエレナ・ケーガンを指名することを強く薦めるという内容だった。

トライブはハーバード・ロースクール在籍中のオバマ大統領の指導教員であり、オバマをリサーチ・アシスタントに雇い、その能力を高く評価していたといわれている。現在政権に入っていることからも明らかなように、オバマとの親交は深い。

トライブといえば何よりアメリカ憲法の概説書で有名で、これは20世紀後半で最も頻繁に引用された法学テキストだともいわれる。政治的にはリベラル派として有名で、80年代に保守派のロバート・ボークが最高裁裁判官指名を上院で拒否されたとき、反対運動の先頭に立ち保守派からの怒りをかった。また、大統領選挙の最終的結果が最高裁にまで持ち込まれて話題になった2000年のブッシュ対ゴア事件では、ゴア側の代理人を勤めたことでも有名である(彼の副業の弁護士としての収入は、なんと年間100万~300万ドルであったともいわれている)。

この手紙が書かれた当時、最高裁裁判官9名のうち、保守派が5名、リベラル派が4名いて、保守のうちケネディ裁判官が中道寄りであり、場合によってはリベラル派陣営の意見に加わるスイング・ボートとして知られていた(このイデオロギー分布は今も変わらない)。オバマが大統領になってから、リベラル派の2名(デヴィッド・スータ、ジョン・ポール・スティーブンス)が相次いで辞職し、新たにリベラル派の2名(ソニア・ソートマイヨール、エレナ・ケーガン)が指名されることになった。トライブはその手紙の中で、スータの辞職表明にあたってケーガンを強く推したのだが、オバマは最終的にその意見を容れず、ソートマイヨールを指名し、その次の機会にケーガンを指名するに至った。

そもそもリベラル派の学者が、自分の大学の同僚であるリベラル派のケーガンを、親交の深いかつての教え子オバマに推薦するというのは全く普通のことであり、手紙の内容も確かに普通のものだった。しかし話題になっているのは手紙の全体的なトーンである。候補者として名前が挙がっていたソートマイヨールについて、彼女は「自分が思っているほどスマートではない(she's not nearly as smart as she seems to think she is)」と述べ、最高裁裁判官としての適格を欠くといっているのである。また、ケーガンが規律、原理に基づいた場当たり的でない法律判断ができることを強調する文脈で、プラグマティックな法的アプローチをとるリベラル派のスティーブン・ブライヤーの手法が「柔軟すぎて拘束がきかない(mushy and unconstrained)」と批判的に述べている。また、ブライヤーやスータはリベラル派の顔として国民にアピールする力が弱いが、ケーガンなら期待できるとの趣旨も述べている。いくらオバマと親しいとはいっても、ここまで激しい調子の文章は意外である。

また、ケーガンの適格性を主張する中で、その説得能力を強調していることも注目される。これは前から多くの論者により言われてきたことだが、現在の最高裁の保守4人は非常に頑強なので、リベラル派としてはケネディをいかに引き込めるかという戦略的判断が必要になる。ソートマイヨールはこの能力を欠いているが、ケーガンはこれに長けているというのである。ケーガンは中道寄りリベラルといわれることが多く、リベラル派の学者の中には彼女が十分にリベラルでないことを批判する声が結構あった。一方トライブは、最高裁をリベラルな方向に向かわせるためには単にリベラルであるだけではだめで、戦略的でなければならないと考えていることが読み取れる。

あるいは、同僚とはいえトライブがここまで強く推薦していることから、ケーガンは中道ではなく非常にリベラルであるとも考えられる。彼女は政治的立場をあまり明らかにしてこなかったが、トライブは彼女の思想傾向を熟知しているはずである。ケーガンもオバマ同様かつてはトライブの教え子でありリサーチ・アシスタントであったので、付き合いはかなり長いからである。まだ明らかになっていないが、ケーガンは場合によっては非常にリベラルな意見を書く可能性がある。

ちなみに、この手紙の最後には、オバマに対して司法省の「法の支配」を扱う新しいポストを懇請する一文がある。トライブがこのポストを求めていたことはすでに広く知られていたようである。しかし、結局この職は与えられず、トライブは現在の法律サービスへのアクセスに関する部門を任せられることになった。NYTの4月7日付けの記事によると、この部門はトライブが求めていたものよりもはるかに権限も予算も小さいもののようであるが、トライブはこれを引き受けた。ただ、同記事によると、ホワイト・ハウス内に教え子も多いトライブは司法省内で非公式に大きな影響力を行使するのではないかといわれている。